遠藤コラム第4回「自分の人生に大きな影響をもたらしてくれた、ワタミ・渡邉 美樹社長との出会い」
新社会人として、モスバーガー(株式会社モスフードサービス)に入社後、がむしゃらに働いてきました。
その模様はこちらの記事をご覧ください。
仕事をがむしゃらに頑張り続ける中で、徐々に周囲が見えるようになってきました。
「独立したい」という想いをもっている人は他にもたくさんいたのですが、誰1人として独立していなかったのです。
その様子を見ていて、自分もがむしゃらに頑張って、結局、独立できずに終わってしまうのではないか・・・と思うようになりました。
「どうせ頑張るのなら、独立のために、手に職をつけながら、頑張った方が良いのでは」と思うようになり、モスバーガーを退職し、次のステップへ進むことを決意しました。
モスバーガーを退社。次のステップを模索するため、
新しい仕事を探すも苦難の日々。
飲食での独立は考えていましたが、どの業態で独立しようかというのは考えていませんでした。
散々悩んだ挙句、「お好み焼き」で独立しようと決めました。
「お好み焼き」という業態で独立を決めた1番の理由は、「好きこそ物の上手なれ」でした。
私は、関東の人間なんですが、小さい頃からお好み焼きが大好きでした。学生の頃も友人とお好み焼きをよく食べに行っていましたね。
焼き方のうんちくを言いながら、私が焼いてあげて、最後にソース・マヨネーズ・青のり・鰹節をかけて、みんなに取り分けてあげるのが、楽しかったように記憶しています。
友人とどちらがお好み焼きを美味しく作れるかを、競いあったりもしていましたね。
妻とも、「学生時代のデートで、お好み焼きを、飽きずによく食べてたよね。」なんて話をしながら、今でもお好み焼きを食べてます。(笑)
お好み焼きで独立しようと決めてからは、全国各地のお好み焼き屋さんを歩き回っていました。
大阪へ行ったり広島へ行ったり。関東でもあちこち食べ歩きましたね。
当時はインターネットなんてありませんから。大変でしたよ(笑)
知人に聞いたり、ガイドブックを読んだり・・・
そんな日々を3、4ヶ月続けていました。
しかし、厳しい現実が突きつけられます。
モスバーガーのような、規律ある飲食店で働きたかったので、お好み焼き屋さんでもそういった規律のあるお店を探していました。
けれど、美味しいお店は、地元のおじいちゃんやおばあちゃんがやっているような個人店ばかりだったのです。
なかなか、接客や雰囲気、清潔感まで行き届いているお店に出会えませんでした。
でも、妥協はしたくなかったんですね。
腹の底から働きたいお店に出会うまでは、諦めたくないと思っていました。
その後も、自分の働きたいお店が見つからないまま、時間だけを無駄に消費するばかりで・・・
流石に4ヶ月くらい過ぎたあたりから、「自分の将来はどうなるんだろう」と考えるようになり、少し精神状態も不安定になってしまっていたみたいです。
ある時、突然、自営を営んでいる父が私を見て、「おれも、いまだに夜中に不安になって、寝れない時がある・・・。でも、太陽がのぼると頑張ろうという気持ちになるんだよな・・・」と、何の前触れもなく話してくれたのです。
その話を突然された時は涙が出ましたね。
落ち着いてから、本当に自分は精神的にだいぶ落ち込んでいたんだと実感しました(笑)
そんな中、ようやく出会ったお好み焼き屋さんが「唐変木」でした。
唐変木、そしてワタミ・渡邉 美樹社長との出会い
初めて訪れたときの記憶は今でも忘れられません。
どこに座って、どんな景色だったのか、いまだに鮮明に覚えていますね。
おしゃれな内装やユニフォーム、徹底したサービスやこだわりなど、お店に入った瞬間から衝撃的でした。お好み焼きも、とてもおいしかったんですね。
全く希望が見えない中、突然現れた唐変木に、「ここだ!」と身体中に電流が走りました。「やっと見つけたー!」と、叫びたいくらいでした!(笑)
当時はインターネットがありませんから、レジの横にあったお客様アンケートを持ち帰って、翌日、住所を調べて、アポなしで、直接本社へ行って「働かせてください」とお願いしたんです。
そうしたら、担当の方が、「今日、社長がいるので、面接しましょう」とおっしゃって、その日に面接をすることになりました。
応接室に通されて現れたのが、あの渡邉 美樹さんだったのです。
といっても、当時は創業の頃で、「ワタミ」も「渡邉美樹さん」も知りませんでした。
今でこそ「ワタミ」は有名ですが、当時は「和民」というブランドはなく、「つぼ八」という大手居酒屋チェーンに加盟していました。
事務所も酒屋の倉庫の2階にあり、小さいプレハブの建物でしたね。
そして、そのまま渡邉社長との面接が始まりました。
「将来独立したい」と話したとき、「5年はここで働け」と言われたのを覚えていますね。
あとは、渡邉さんの有名な「夢に日付を入れなさい」というのも言われました。でも、私も若かったので、「そんなもの入れられない」と答えてしまったんですよね(笑)
渡邉社長は、「最近の若者はおもしれえな」と答えていらっしゃいましたよ(笑)
そんなこんなで、その場で入社が決まり、1ヶ月間アルバイトとして働いたのち、正社員としてワタミで働くことになりました。
ワタミで学んだことが、今の自分に大きな影響をもたらす
ワタミでの日々は、自分の仕事だけでなく、自分自身の考え方にも大きな影響がありました。
ワタミに入社していなかったら、間違いなく今の自分はありません。
ワタミで働いたことで、モスよりも、より大きな視点で物事を捉えるようになりました。
飲食店の業務だけでなく、経営そのものについても学びましたし、経営者としての考え方や心構え、マネジメントなども学びました。
また、トップと近いところで働くというのは、モスバーガーとは大きく違う点で、自分にとってかなり刺激になりました。
当時ベンチャーだったこともあり、渡邉社長のメッセージをダイレクトに聞くことができたんですね。
人材教育に対しても、とても力を入れてらっしゃってました。
月に1回早朝勉強会があり、会社の状況や今後の方針の共有、競合調査の仕方や調査結果の発表、階層別課題図書の解説や発表などを行っていました。
毎月給料日には、手書きで「人間性を高めるため」のメッセージと、「マネジメント」のメッセージが送られてきて、これもとても勉強になりました。
また、私たちも毎月頂いたメッセージについて、感想レポートを提出するのですが、渡邉社長が、提出したレポートにコメントして返してくれるんです。
社員全員のレポートにですよ。すごくありませんか?
そういった渡邉社長の取り組みは、今でもすごく役に立っています。
そして当時は「ハードワーク・ハードシンキング」が合言葉でしたね。今の時代は難しいと思いますが(笑)
「体は休ませても頭は休ませるな」とよく言われていました。
夢を叶えるためには甘えはいらない、努力し続けなくてはならないんだ、と。
もちろん、とにかくしんどいときもありましたよ(笑)
ですが私は、独立したいという想いが変わらずにありましたので、渡邉社長から得られる学びは全て吸収しようと考えていました。
だから最後まで走り続けられたのかもしれません。
まとめ
当時、「和民」を「わみん」なんて呼ばれてしまうような、知名度のない小さい会社に入社しましたが、企業がどんどん成長して、東証1部上場までいく環境に身を置けたことは、私にとって本当に貴重な体験でした。
たまたま入社した会社が「ワタミ」で、たまたま「渡邉 美樹さん」がいらっしゃっただけなんですが、精神的に追い込まれても妥協せずに、働きたい「お好み焼き屋」にこだわったからこそ、この環境を手に入れられたと思っています。
この経験から「好きこそモノの上手なれ」という言葉が、自分の人生の判断軸の1つになりました。
そして渡邉社長の姿を見ていて、経営者はこうあるべきなんだというのを、数多く学ばせていただきました。
創業の頃、渡邉社長がこうおっしゃっていました。
「いいか、数年後、日本に『ワタミ』を知らない人はいなくなるくらい、この会社は大きくなるんだぞ!おまえら、ワクワクしてこないかあ?」
本気で何度もおっしゃっていたのを、鮮明に覚えています。そして、現実になりました。
今の時代とは働き方が大きく違いますが、仕事というのは、夢を叶えるというのはこういうものなんだということを頭と心と体で学ばせていただいた、非常に中身の濃い時間でしたね。
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