遠藤コラム第5回「ついに叶えた独立の夢。そして立ちはだかる新たな壁」
30歳までに独立する、という夢の実現のためにモスバーガーからワタミへ転職し、そこからは仕事に全力で打ちこむ日々が続いていました。
店長になるも、まさかの「唐変木」撤退
入社して、半年ほどで店長にさせていただきました。
よくある話ですが、入社して半年しか経っていないので、調理や接客のスキルはアルバイトの方が上なんですよね。
店長として最初に配属になったのは、店長不在で、アルバイトが店長代行している店舗だったんです。
案の定、そのアルバイトから「遠藤さん、お店は私に任せておいてくれれば大丈夫ですから・・・」や、「新人店長は出しゃばらないでください。」のようなことを言われていました(笑)
このアルバイトと向き合うのが、店長としての最初の仕事でしたね。
店長としてチームをまとめるのに、本当に試行錯誤の日々が続きました。
「遠藤店長は、独裁者です。」と、アルバイトから言われたこともありましたね。あの頃の自分に、教えてあげたいことがたくさんあります(笑)
そして、店長として1年ほど過ぎ、店舗責任者として業務にも慣れてきて「これから」という時に、思いもよらぬ出来事が起きるんです。
突然、ワタミが「唐変木」を撤退するという話になったんです。
最初聞いた時は、当然、「ええー!」となりましたよ。
渡邉社長に、「考え直してください!」と直談判もしました。
しかし、バブルがはじけた影響で、「お好み焼き」という業態が厳しくなり、全店「和民」に看板を変更するということだったんです。
そのタイミングで、渡邉社長から「遠藤、和民の店長をやれ!」と言われたんです。
ですが、当時の私は、「唐変木」というお好み焼き屋に憧れて入社したので、「唐変木を撤退するなら会社を辞めます」と断ったんです。
すると、「ちょうど1店舗だけ、お店が小さくて「和民」にできない店舗があるから、お前そこでやるか?」と言われたんです。
「是非、お願いします。」と即答すると、こう言われたんです。
「でも、お前は俺の眼中から外れるけどいいか?」
最初は、「えっ!」と思いましたが、そもそも独立希望の私にとって、本部があるだけありがたいと思い直し、その提案を喜んで受け入れる事にしました。
実際、色々な場面で、本当に会社の眼中からはずれましたね。(笑)
店長会議で、業績が良くても悪くても、何も言われないし、完全に放置状態でした。
絶好調の「和民」に対して、「唐変木」は1店舗だけの「おまけ」みたいなものでしたからね。(笑)
でも、かえって燃えましたね。「ワタミの中で一番のオーナー意識を持ってやってやろう」、と、本気で思いました。
常に「もし自分が全額出資してこの店をやっていたら」ということを考えながら、店長をやっていました。
突然訪れた独立の瞬間
そんなこんなで店長として3年目が過ぎたある日、本社に呼び出されたんです。
そして、上司から「遠藤、今度 社員独立制度ができるんだが、お前独立するか?」と、突然言われたんです。
「ぜひ、お願いします!」即答でしたね。
いやー、びっくりしました。本当に何の前触れも無かったので・・・
29歳の時でした。
ついに「30歳までに独立する」という夢が叶ったんです。
本当に、偶然に偶然が重なりました。
たまたま、結婚後に始めた貯金が会社設立の資本金額に達していたり、店長経験3年間以上が条件だったり、などなど・・・
「神様って本当にいるんだな!」と本気で思いましたね。
ついに夢を叶え、独立するも・・・
「30歳までに独立する」という夢を達成したことは、本当にうれしかったんですが、喜びは瞬間で、すぐに自分の足りなさと向き合うことになるんです。
一番大きな壁は、お客さんの心に刺さるようなメニューが開発できないことでした。
できないとしても、できるように努力をしきれない。
「自分は本当に料理をつくることが好きなのか?」と自問自答を繰り返しましたね。
そして、気づいたんです。
自分は、「独立」することが「目的」になってしまっていて、独立後のビジョンや想いが全くなかったんです。
本来、「独立」というのは「手段」でなければいけないと思うんです。
例えば、「美味しいお好み焼きをたくさんの人に広めたい」という「目的」があって、そのための「手段」として「独立」をする、というように。
私にとって「お好み焼き」は、「独立」のための手段でしかなかったんです。
「食を通じて、世の中にどんな価値を提供したいのか?」ということを、真剣に考えたことが無かったんですね。
結局は、自分のことしか考えてこなかったんです。
結果として、他店舗展開もできない。社員も採用できない。現状維持が精一杯でした。
独立の終わりも突然に
現状維持ではあるものの、土・日は1日に10回転する繁盛店ではあったんですね。お好み焼き屋で、10回転はすごくないですか?(笑)行列ができてましたから。
接客や料理提供のタイミングなど、本気でこだわって営業してましたよ。
また、渡邉社長からの学びを生かして、毎月アルバイトにメッセージを送っていましたね。
お店は文化が大切だと思っていましたので、大切にしたい価値観や飲食店の基本を噛みくだいて、手紙にして渡していました。
最初は照れくさかったんですが、「メッセージまだですか?」なんてことをアルバイトに言われたりもして、やり続けて良かったなと思ったのを記憶しています。
しかし、行列のできるお好み焼き屋も、またしても突然の出来事が起きるんです。
独立して5年目の時、テナントビルそのものが競売にかかってしまい、残念ながらいろいろあって、撤退せざるを得ない状況になってしまったのです。
これも驚きましたよ。新しいビルオーナーから手紙1枚が届けられて「撤退してください」みたいな感じだったんで。(笑)
最初は落ち込みましたが、店舗はまさに「現状維持は衰退」という状況だったので、
結果としてはよかったなと思っています。
まとめ
ついに夢を叶えた私でしたが、すぐに新たな壁にぶつかることになります。
独立がゴールになっていたことで、独立後に次のステージに進むことができなかったのです。
「何のために」独立するのか、という部分がすっぽり抜けていました。
「飲食業を通じて、世の中にどんな価値を提供したいのか?」このことを真剣に考えていれば、もっと料理について貪欲に取り組んでいたと思います。
結局、自分のことしか考えてなかったんです。
この気づきは、後の自分の人生にも大きな影響をもたらしてくれます。
そして、ワタミで独立させていただいたことに、本当に感謝しています。
独立させてもらえなかったら、これだけの学びを得るチャンスがないということですから。
今思えば、29歳で挑戦させてくれた会社もすごいなと思います。
当時は29歳なら独立するのに十分な年齢だろうと思っていましたが、歳を重ねて振り返ると、よく29歳の若造にやらせてくれたなと(笑)
ワタミでの時間は、本当に試行錯誤の連続でした。でもこの体験は、研修講師の私にとって、とても貴重な財産となりました。
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