遠藤コラム第2回「大学卒業後のワーキングホリデーで学んだこと」
大学卒業と同時に、就職せず、オーストラリアに1年間滞在したこと。
この経験は、私の人生に大きな影響をもたらしてくれました。
今回は、オーストラリアに行ったきっかけや、現地での体験談、そこから学びを得たことをお話しします。
大学卒業後、就職せず、オーストラリアに旅立った理由
なぜ就職せず、ワーキングホリデービザでオーストラリアに行ったかというと、理由はいろいろありますが、一番の理由は、「自分に自信をつけたい」、という想いからでした。
就職活動中、これから大学を卒業して社会人になり、結婚して家庭を持ち、「30歳までに独立したい」という強い想いがあったのですが、いざ将来をイメージした時に、本当にやり遂げられるのか、とても不安になる自分がいました。
その一番の原因は、自分に自信がなかったのです。
学生生活の中で、自分で大きな目標を立て、本気で最後まで成し遂げた経験がなかったのです。
「その日が楽しければいい」と行き当たりばったりで、中途半端な学生生活をずーっと過ごして来ました。
その分、大学生活は、とても楽しかったんですけどね(笑)
でも、このまま大学を卒業しても、なんとなく就職して、なんとなく結婚して、なんとなく生きていく・・・
行き当たりばったりの中途半端な人生を、また繰り返してしまうんではないか、と、とても不安に思ったのです。
「何をやっても中途半端な自分」には、以前から気づいていたのですが、そんな自分と向き合わないまま、楽しいこと、楽なことに、日々流されていました。
就職活動で自分の将来を真剣に考えることになり、「自分の弱さ」に決着をつけたいと思ったのです。
そこで、大学卒業のタイミングで、「ゼロから何かを初めて、自分の力で最後までやり遂げるぞ」と決意し、英語も話せない、お金もないというゼロの状況での、オーストラリア行きを決め、1年間は何があっても帰国しないと心に誓いました。
ワーキングホリデービザ取得のために、資金稼ぎの日々
当時のワーキングホリデーは、ビザの申請料金をはじめとする費用で、最低でも100万円ほど用意する必要がありました。
しかし、学生当時の貯金はゼロ。
そこで、まずはアルバイトをして必要な資金を集めるところから始めました。ガソリンスタンドのアルバイトで、毎日12時間・週6日バイトを続けたのです。
アルバイトは3ヶ月半継続。100万円の貯金が達成できると決まった日、仕事を終わって手を洗っていたら、力が抜けたのか、突然、腰から砕け、倒れてしまって(笑)
一つの大きな目標を達成したときの達成感をはっきりと味わったのは、この時が初めてです。
「俺もやればできる」と、当時、本当に思いました。自分の可能性が広がった感じがしました。
オーストラリアでの刺激的な毎日
無事に費用を集めたあとは、すぐに手続きをし、オーストラリアへ旅立ちました。
首都・キャンベラに到着した私は、さっそく働き始めます。その時は、日本食のお店でスタッフとして働き始めました。
ところが、このお店のスタッフは、ほとんど日本人ばかり。ホームステイ先も日本人の社長のお家にお邪魔していたので、日本で暮らしているのとほとんど変わらない環境だったのです。
多分、学生時代の自分だったら、日々の生活に不満はなく、多少の異国の刺激もあったので、仕事を続けていたと思うのですが、「せっかく一念発起してやってきたのに、このままではなんの意味もない!」と自分に言い聞かせ、決意し、店主に理由を説明して、その日本食のお店を辞めさせていただきました。
そして、次に向かったのは、ケアンズ。前と同じ経験をすることのないよう、自分の足で、ゼロから働く場所と生活する場所を探しました。
ケアンズに到着したら、まずは働く場所を探しに出かけました。
元々ライセンスを持っていたので、ダイビングの仕事ができたらいいなと思いながらダイビングショップを探していました。
すると、最初に訪ねたダイビングショップの現地スタッフから、「おー、ラッキーだね!たまたま今日、グリーン島のインストラクターアシスタントの空きが出たから、働くか?」と言われたのです。
「おー!やったー!」という気分で、「ぜひ、雇ってほしい」と伝えると、現地のスタッフに、こう言われました。
「ちなみに、日本人は君一人だけだよ。」
その言葉を聞いた瞬間、一瞬怯みました。英語が全く話せない私が、日本人スタッフのいない島で、仕事をやっていけるのか?
「3分時間をください。」と言って、私はダイビングショップの前の公園で、自問自答を繰り返しながら、何周も歩き回っていました。
「日本人は自分1人かあ・・怖いな・・」
「でも、何のためにオーストラリアに来たんだ?」
一瞬、学生時代の弱気な自分に戻りそうになりましたが、意を決して、お店に戻り、「働かせてください!」と言いました。
というか、「あー、本当に言っちゃったよ、どうしよう!」という感じでした。(笑)
でも、その時 実感したんです!「行動すること、チャレンジすることは大事なんだな」と。
たまたま、空きが出たダイビングの仕事を手に入れられたのは、「自分が行動し、チャレンジしたからなんだ」と。
その夜、「チャンス」ってこうやって手に入れるのかな、なんて考えていました。
ダイビングのインストラクターの仕事は、楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。
それまでも日本でいろいろなアルバイトをやってきましたが、あんなに楽しい仕事は経験したことがありませんでしたね。
日本人の観光客の人に、「君みたいな輝いた目をして働いている人は、日本にはいないよ」なんてことを、言われたこともありました。それも、いろんな人から。
今、思うと本当に仕事が楽しかったんでしょうね。当時、本当に天職だと思い、日本に帰りたくないと思っていましたから。
おなじ店で働く外国人スタッフの人たちにも恵まれて、とてもいい環境の中、ドラマの主人公のような最高に充実した日々を過ごしていました。
生活の拠点としていたバックパッカーズホステルでの暮らしも、良い仲間と巡り会え、とても刺激的で、いい経験になりました。
あらゆる国から外国人がやってくるので、それぞれの国の文化や生活、考え方を知ることができるんですね。中には日本では絶対にありえないような考え方をする外国人もいたり、とても興味深かったです。
特に一番驚いたのは、ワーキングホリデービザが切れるので、日本に帰国することを外国人の仲間達に伝えた時に、「マナブ、日本に帰ってどうするの?」と質問されたのです。
「当然、働くよ!」と応えたら、仲間たちが全員びっくりした顔で、「ええ〜っ!なんで働くんだよ?」って言うんですよ。
私もびっくりして、「えっ、生活のために働くのは、当たり前でしょ!」と応えたら、「マナブ、お前は、世界のこと、どれくらい知っているんだよ?何も知らないだろう!」「働くのは早すぎるよ!もっと世界を知らなきゃダメだよ!」と全員に真顔で言われたのです。衝撃的でしたね。
この出来事は、私の価値観に大きな影響を与えてくれました。そのやりとりをした時は、脳ミソを大きく揺さぶられたような感覚でした。(笑)
「自分の普通や日本の普通が、世界の普通では無いんだな」
「自分は、とても小さな世界で生きていたんだな」
「常識って何なんだ」・・・
本当にいろいろと考えさせられましたね。
この出来事は、今でも私の大切な人生観、価値観、判断軸になっています。
1年間のワーキングホリデーから学んだこと
オーストラリアでの1年間は、これまでお伝えしたこと以外にも、たくさんの経験や出来事があり、本当に刺激的な日々の連続で、私の「視野」を一気に広げられる時間でした。
普通が普通じゃない世界は、たくさんある。だから、小さな物事に囚われるのではなく、あらゆる視点で物事を見なくてはならないことに気がついたのです。
物事を多面的に見て、一つのことに囚われることのない、「視座を高める」という考え方は、今の研修でも大きなテーマとしてみなさんに伝え続けています。
まとめ
オーストラリアでの1年間やり遂げたことは、私にとって大きな自信となり、貴重な財産となりました。
自分が居心地の良い環境に身を置くことは、楽ですし安心です。
しかし、その環境に浸かり続けることなく、一歩踏み出してチャレンジすることは、大きな学びや気づきを得るチャンスでもあります。
一歩踏み出す、というのは大きな決断ではありますが、踏み出してみると、思いもよらなかった景色に出会える可能性も広がります。
生きていると、偶然や運に恵まれることもたくさんありますが、それらは、自分自身の努力や決断なしには巡ってこないのではないかと考えています。
オーストラリアでの体験は、今の私の原点となり、起点となっています。
あのとき勇気を出してチャレンジしてよかったと、心から思っています。
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